歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

桜橋の由来 in 東京都青梅市二俣尾

投稿することを忘れていて、1年間前のことになってしまった。しかし、同じ季節のことなので、今も似たような景色が広がっていることだろう。

青梅街道を紅葉を愛でながら、元気よく歩いていたところ、説明板がある橋に出会った。

桜橋

"桜"、秋になってしまっていて、いささか季節外れ感がする。

昔の街道は、三角山新道の段丘上に江戸往還の道(甲州裏街道)が、東西に貫くように伸びていますが、鎌倉街道と行き交う「奥澤」から東へ、西木戸の急坂を登り切ると開けた台地に出ます。ここが「桜橋」です。縄文の人々が暮らした遺跡があり、時代が下ると三田氏が後北条氏と一戦を交えた古戦場でもありました。
「桜橋」の名の起こりは「田の入り(屋号・谷合弘平さん宅)」の裏山から流れ出た小さな沢が、街道を横切り多摩川に落ち流れていますが、そこに小さな土橋が架かり橋際に大きな
えられています。後に、鉄道延線工事の際、沢は暗渠となり橋も桜もなくなりました。
 近くに住む市川善一さんから「家の古い屋号は『桜林』だった」と伺ったことがあります。桜の木々に囲まれた家があったのか、裏山全体が「桜の林」だったのかと思いを巡らしながら、調べてみると意外な事実がありました。
 慶長3年(1598)検地の記録に「さくらばし」が既にあり、さらに「さくら木」「さくら木道上」「さくら木のこし」ほか「桜」と名の付く小字名がたくさんありました。春ともなればこの一帯は、桜の花が咲き誇る自然豊かな里山だったのではと思われてなりません。
 新橋の完成によって交通の難所が取り除かれ、安全でしかも快適に通行できることは誠に喜ばしいことですが、反面その利便さと恩恵の陰にともすると歴史や出来事が忘れられがちです。「桜橋」の開通に寄せて昔日のことごとを御紹介しました。

平成22年1月吉日
青梅市自治会連合会第5支会(文:福島和夫氏)

ここに「さくら木」「さくら木道上」「さくら木のこし」など「桜」と名の付く小字名がたくさんあったと書かれていた。この説明板のことを書いている記事は見つからず、自分の記憶にとどめるためにも、記事をしたためることにした。

案内図

桜橋は、二俣尾橋と鎧橋の間にある。

撮影日 2024年11月25日