2025年9月20日、たまたま東京医科大学病院前を歩いていると、記念碑が展示されているのが見えた。

こういうものがあると吸い寄せられてしまう。
ネットで調べてみたところ、SNSは分からないが、歌碑がここに移設されてからこの歌碑のことについて書いているものは見つからなかったので、縁もゆかりもないが、記事を書くことにした。
東京医科大学校歌碑だった。

校歌 土井晩翠詩
一、
ヒポクラテスの 名によれる
ギリシャの昔 斯道の
光明 西のあさぼらけ
東亜は更に はるかなる
神話の蔭に にほう跡
源流二つ 彼と此
世々に広めし いさをしの
仰がざらめや 尊さを
二、
その千歳の遠きより
洋々の末 はてしなく
知の一切を 科として
万物の 霊人類の
病を救ふ 仁の術
修め学びて 帝城の
北の一隅 幾百の
青春の子等 睦み合ふ
三、
威を官学の 名に借らず
ただこれ力 誠より
湧き来る励 身を駆りて
倣ふは三たび 肱折りし
いにしへの跡 世にいでて
藁屋の中も 玉楼の
上も等しき 人の子の
生の恵を 補はむ
四、
道の蘊奥 理の極み
深きに限あらずとも
歩々の進に 人界の
福利次第に増すものを
滄海のうち一滴の
貢献われの責として
功成るとき わが校の
名に光明を 増さしめむ
信山書
建碑のことば

東京医科大学は大正5年(1916年)に開校し、本校歌は大正14年(1925年)土井晩翠氏により作詩、平野主水氏の作曲でつくられた。
以来大学々生、卒業生に広く愛唱され、その士気を鼓舞してきた。
令和元年(2019年)の新大学病院落成記念として、本歌碑をここに移設し、 永く後世に伝えることとした。
(この歌碑は、昭和61年に大学創立70周年および維持会創立35周年に当たり、 当時の新大学病院落成を記念し、東京医科大学維持会より寄贈されたものである)
令和元年7月1日 東京医科大学
展示されていた写真

1931年(昭和6年)附属淀橋診療所(本大学病院 発祥の地)

以前あった「建碑のことば」
本校歌は大正14年(1925)土井晩翠氏により作詩 平野主水氏により作曲された 以来本学々生同窓生に広く愛唱されその士気を鼓舞してきた 子年は本学創立70周年 新病院の落成および維持会設立35周年に当りこれを記念し本歌碑を母校に寄贈 永く後世に伝えることとした
昭和61年(1986)3月15日 東京医科大学維持会 峡邨謹書
沿革
1931年(昭和6年)5月
東京医学専門学校付属淀橋診療所を開設
1932年(昭和7年)11月
淀橋診療所を淀橋病院と改称
1946年(昭和21年)5月
東京医学大学の設立により東京医科大学病院と改称
1986年(昭和61年) 4月
新病院開院
2019年(令和元年) 7月
新病院開院
これからもあまり世に知られていない、興味を持たれていない、見過ごされているものなどを見つけて紹介していきたい。