歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

旧町名「宇都宮市押切町」

🚉 寝過ごしが縁を生んだ、宇都宮旧町名探訪記

前回の宇都宮訪問は、2025年6月23日のことだった。 実は、降りる駅を寝過ごしてしまい、図らずもたどり着いたのが宇都宮駅だったのだ。その時は、全く情報を持たないまま、さらに雷雨に見舞われてしまい、ほとんど探索できずに不完全燃焼に終わってしまった。

✨ リベンジの誓いと準備

そのため、「いつか必ずリベンジしたい!」と心に誓った。事前に調べてみると、宇都宮市にはたくさんの旧町名の痕跡が残っていることが判明した。旧町名情報を熱心に収集してくれた方々には本当に感謝しかない。

なかなかその機会に恵まれなかったが、ようやくその時がやって来た。今回、再訪するにあたり、ぜひ見つけたい旧町名の場所をいくつかピックアップし、準備万端で臨んだ。宇都宮市は、二荒山神社門前町宇都宮城の城下町として栄え、古くから人々が集まる地域だった。明治時代には栃木県庁が置かれ、政治・経済の中心地として発展してきた歴史がある。近代化とともに新しい町名が生まれる一方、かつての町名にはその土地の歴史や文化が息づいていたようだ。

🚃 いざ宇都宮へ!

遠征当日の2026年1月15日、約半年ぶりに宇都宮駅に降り立ったのは12時20分頃。快速列車で1時間20分の移動だったが、座りっぱなしだったのでのんびり過ごせた。片道1,518円、往復で3,036円という交通費は少し張るが、これは必要経費だ。

冬の日ではあったが、この日は気持ちの良い晴天。最高気温が12.4℃と、想像していたよりも寒くなく、絶好の散策日和となった。

🗺️ 限られた時間での収穫

さあ、限られた時間の中で、旧町名の痕跡をどれだけ見つけられるか。 途中、ゆっくり見てみたい場所もいくつかあったが、今回は旧町名探索に全力を注ぐことにした。 暗くなるまでの間、ひたすら歩き回り、結果として多くの目撃情報を集めることができた!

今回の目的は、事前の目撃情報を確認することだったが、足を運ぶ中で、情報になかった旧町名の痕跡も偶然いくつか発見できたのだ。もしかしたら、確認不足で既存の情報と重複しているものもあるかもしれないが、その際はご容赦いただきたい。この思わぬ発見も含めて、今回の探索の成果には満足だった。

この思わぬ発見の中から、今回は旧町名の痕跡を紹介することにしよう。

発見場所 栃木県宇都宮市三番町

達筆な文字。

町名の由来

この付近は、昔から田川(たがわ)の氾濫によって、しばしば土手が決壊したので、押切町と呼ばれるようになったといわれている。田川にかかる押切橋(現・旭橋(あさひばし))は、水戸・真岡方面へ向かうときの主要な橋だったため、人馬の往来が多かった所。

「太城家の礎」という碑が駐車場にあった。

ここに押切町が書かれていた。

天明八年(一七八八年)太城利右ヱ門、
此の地に、乾物問屋鈴木屋源八商店(鈴源)
を創業、後に太城源八を代々襲名して今日
に至る。
江戸時代、明治維新を経て、大正、昭和の
恐慌、太平洋大戦を生き延びて来た御先祖
様には、尊敬の念を覚える。
此の地は、
下野の国河内郡宇都宮城押切
その後栃木縣宇都宮市押切町八五四番地
現住所栃木県宇都宮市一番町三番十八号
となり現在に至る。

今和四年(二〇二二年)春 大城敏之 記

結構最近設置されたものだからなのか、この碑について書かれているものは見つからなかった。

押切町自治



夕焼け空と押切橋の街路灯


今回の探索では、時間切れとなり、探せなかったのもいくつか残ってしまった。

それに事前にピックアップしていないものもいくつかある。

またいずれ訪問して、再チャレンジしなければいけないなあ。

今回みたいにハードスケジュールではなく、次回はゆっくり、じっくりと。