このような形状のものは、「街区表示板」に該当するのかもしれないが、このブログでは、「町名看板」のカテゴリーとして取り扱っている。
発見日 2020年9月7日
発見場所 東京都江東区東陽5丁目
右から
①江東区木場二丁目6
②江東区深川木場1の九
③江東区深川千石町1の八
となっている。
これらは精米店の店内に飾られていた。
すべて旧町名の琺瑯町名看板である。どのように入手したのかわからないが、コレクターでもないけど、正直うらやましかった。
家の中にしまいこんだまま、個人的に楽しむより、このように公開してくれた方がありがたい。
②から④までの縦長タイプの琺瑯町名看板は、江東区内に3枚現存確認できている。いずれ紹介する予定であるが、①のタイプは見たことがなかった。
①の「木場」は現町名だが、②の「深川木場」は旧町名である。これだけ見ると②の「深川木場」の方が古いのかと思ってしまう。
しかし、①は江東區と区の旧字体を使用しているので②より古そうである。劣化状態を見てもそう感じる。
もちろん②から④も旧町名を残す数少ない貴重な昭和遺産である。
この歴史的遺産をこのまま大切に保存して、公開していただけることを願うばかりである。
この琺瑯町名看板の後日談は写真の下に続く。
昨日(2021年9月18日)台風の中、この琺瑯町名看板を再訪してきた。
家を出るときは、それほど雨が降っていなく、明るくなっていたので、もう風雨は強くならないかなと思いながら、亀戸駅を降りた。
この日の目的は、「亀戸町」、「北砂町」、「南砂町」の旧町名を探すこととこの琺瑯町名看板を再訪することだった。
全然下調べもしていなく、地図も持っていくのを忘れたので、適当に歩くしかなかった。
「亀戸町」はあまり探すことなく見つけることができた。・・・ラッキー1
その後、風雨が強くなってきたので、高速の下でしばし雨宿り。
次は、「北砂町」探しに向かうが、また、風雨が強くなってきたので、マンションのエントランス前で雨宿りさせてもらう。
小降りになってきたので、「北砂町」探し再開。こちらもあまり探すことなく見つけることができた。・・・ラッキー2
その次は「南砂町」探しである。あまり広範囲に探せなかったので、残念ながら、見つけることはできなかった。
「東陽5丁目」に向かうべく歩いていたら、「海辺」の街区表示板を発見。そういうば、「深川海辺町」という旧町名があったなということを思い出し、探し始めたら、町域が狭かったためか、思ったより早く見つけることができた。・・・ラッキー3
これらの旧町名については、改めて紹介する予定である。
さあ、やっと上記琺瑯町名看板の話題に入る。
ほぼ1年振りの再訪となる。目的地に着いたが、肝心のものがシャッターが下りていて正面から見ることができくなっていた。
当然拝むことができると思い、台風にもかかわらず、歩いてきたのに(この時は雨がやんでいたが)・・・、そりゃないだろう、がっかりである。
しかし、入口が開いていたので、横から見ることができた。
その写真がこれである。(続きは写真の下に)
暗くてわかりにくいが、位置が変わっているのがわかるだろうか?
右から
②江東区木場二丁目6
③江東区深川千石町1の八
④江東区深川木場1の九
となっているが、すべて現存を確認できたので安心した。
ただ、以前より少し雑然に置かれているような気がするのは、気のせいだろうか。
店内に人がいれば、撮影許可をお願いして、入手の経緯なども聞いてみたかったのだが、誰もいなく、声をかけるのもはばかれたので、後ろ髪を引かれる思いで、帰途についた。