歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

旧町名 淀橋區諏訪町

最近は日記形式になっていることに今更ながら気づいた。
そのため、タイトルであるメインの記事が随分下の方になってしまっている。
こんな文章を読む暇な人はいないだろうかと思いながら独善的に書いているので、当然読み飛ばしてもらって結構だ。
本題へ飛ぶボタンでもつければいいのかもしれないが、そういう機能はあるのだろうか?
日記形式といいながら、日毎だといろいろなカテゴリーが混在してしまい、記事もかなり長くなってしまうため、同日で別カテゴリーがある場合は、別記事にするようにしている。
タイトルと関係していないものは、写真はなく文章だけなので、面白くもなんともなく、ついてこれない方もいるかと思う。

そう言いながら、ここから日記が始まる。今回は長くなりそうだ。今回もか。

昨日(2021年10月19日)は、最高気温が15.4℃、最低気温が11.5℃と曇りで寒い日であった。
少し厚手の服を重ね着して出かけた、歩くと暑くなり、汗が出るくらいだった。
服装の調整は難しい。

豊島区と新宿区を探索するため、池袋駅を降りたった。
まず、一昨日時間切れで探索できなかった豊島区の旧「池袋東」、旧「日ノ出町」、旧「西巣鴨」を探しに行く予定だ。

旧「池袋東」は現「南池袋」に現存しているとの情報があり、まず2丁目から探索を始めた。駅から少し離れた所に豊島区役所があるが、その南側辺りに古い住居が今もいくつか密集している。
ああ、以前この辺は歩いたことがあるなと思いだした。
しかし、ここにあったのかもしれないが、見つけることができなかった。
それから、南池袋3丁目へ移動。都電荒川線の線路付近に古い住居が密集しているところがある。ここも以前訪れたことがあった。

ブロック塀の上に猫がいた。近づく前に一目散に逃げ出す猫が多い中、近づくと鳴き声を上げて寄ってきてくれた。めったにないがこのように人懐こい猫に出会うことがたまにある。久しぶりに猫を撫でることができた。
今日(2021年10月21日)再訪したところ、道を歩いている同じ猫がいたので、写真を撮ってきた。
今回は触らせてもらえず、逃げるように歩いた後、道路に横たわり、体の位置を変えながら、しばらく体を道路にこすりつけていた。かゆかったのだろうか?

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この後、「旧池袋東」の金属住所プレートに出会うことになる。もう1枚あるはずだが、それは見つからなかった。
家に帰って確認したところ、それは以前撮影済のものだった。どこにあったのだろうか?

次は「旧高田本町」を探しに行く。
途中道を間違えたらしく、久しぶりに「弦巻通り」に偶然出た。
懐かしい。
まだ「雑二ストアー」は営業中のようだ。
少し先に大きな更地があった。ここに何かあったはずだ。

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撮影日2021年10月21日

家に帰って調べると 「天ぷら結城」「北條理髪店」「いせや食品」があったところだ。
「いせや食品」は2021年2月末に閉店したらしい。
2021年3月のストリートビューを見ると、店舗の中が解体作業中であった。5月の画像でもまだ解体されていなかったので、それ以降に解体されてしまったのだろう。
大正13年創業。店舗は昭和7年築と歴史ある店舗だったのに、とても残念だ。

あっ!「弦巻通り」に寄り道したため、「旧日ノ出町」、「旧西巣鴨」を探しに行くのを忘れてしまった。仕方ない、また別日に再訪問することにしよう。
とても緩い探索道である。気にしない。

ようやく高田1丁目に到着。目的のものは、激坂の「富士見坂」ではなく「宿坂通り」の途中にあるはずだ。
何ということだ!ちょうど建物がある横の坂道が工事中で入ることができない。
恨めしそうな目をしながら、あきらめて横を通り過ぎる。
仕方ない、次の機会にリベンジだ。

気を取り直して、新宿区へ突入。
ここで、ようやく本題の「淀橋區諏訪町」の話題になりそうだ。
目的のものは「西早稲田2丁目」にあるのだが、「西早稲田3丁目」を探索しながら、行くことにした。
旧「戸塚町」の表札をいくつか見つけた。これは予想外の収穫だ。
早稲田通り沿いにある銅板葺き看板建築の無事を確認し、いよいよ「西早稲田2丁目」に潜入だ。
少し歩くと古い門柱と家屋が見えた。これかなと思い、写真を撮ってから気が付いた。先入観からか旧町名のものかと思ってしまい、よく見たら現町名の西早稲田だった。
がっかりである。早く気づけよと言いたい。
その後、しばらく歩いていると、下目板張りの2階建て家があった。まだこんなところにあるんだと見とれてしまう。
そうこうしているうちに、右側の路地の奥で解体作業中の建物の手前に古い門柱が見えた。
近づいてみると、これがあった。

①新宿區諏訪町三十五番

発見日  2021年10月19日

発見場所 東京都新宿区西早稲田2丁目

これは淀橋區のものではなかった。
しかし、新宿區の區が旧字体のものなので、古いものだろう。
でも、これではない。
淀橋區のものはどこにあるんだ?

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と、道の少し先を見ると解体現場の反対側の角に古い門柱があるのに気が付いた。
近づいてみると、あった!
これが探していたものだ!

②淀橋區諏訪町三十二番地

発見日  2021年10月19日

発見場所 東京都新宿区西早稲田2丁目

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沿革
明治22年(1889年)
町村制施行時に戸塚村・下戸塚村・源兵衛村と合併し、戸塚村大字諏訪となった。

昭和7年(1932年)
東京市編入され、淀橋区諏訪町となる。

昭和50年(1975年)6月1日
住居表示実施に伴う町名変更によって町域のほとんどが高田馬場一丁目と西早稲田二丁目の各一部となった。

その後は学習院女子短期大学(現・学習院女子大学)に隣接したごく狭小な区域のみが諏訪町として存続していた。

昭和56年(1981年)6月1日
住居表実施により示当該区域は戸山三丁目21番街区となり、正式の地名としての諏訪町は消滅した。

西早稲田は空襲を受けたが、幸い壊滅的な被害には至らず、戦前の痕跡がいくつか残っている。

町名の由来
諏訪神社に由来する。

諏訪町の町名が完全に消滅したのは1981年と、比較的遅めであったことにより未だに「諏訪町」を見かけることができる

③新宿区諏訪町一〇二番地

発見日  2021年10月19日

発見場所 東京都新宿区高田馬場1丁目

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④東京都新宿區諏訪町二〇一番地

発見日  2021年10月19日

発見場所 東京都新宿区高田馬場1丁目

新宿区立戸塚第二小学校と戸塚第二幼稚園の早稲田通りに面した裏門に、この表札が残っている。

サイズは約縦46㎝約横15㎝と普通の表札と比較してかなり大きい。

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この後、高田馬場4丁目に「淀橋區戸塚町」を探しに行のだが、かなり探したつもりだが、結局、見つけることはできなかった。
再調査したところ、現存場所を特定できたので、近日中に再訪予定である。
乞うご期待。

この日の総歩数26,278歩 距離17,606m

コバトン健康マイレージ 25,690歩 301位/19,902

 

ヤフーオークション昭和36年の「東京都区分詳細図  日地出版株式会社」の古地図が販売されていた。
北区、足立区、江東区大田区を購入したかったので、出品された当日入札しておいた。
終了日時は昨日の21時過ぎだったが、入札してもすぐ再入札されてしまい、結局どれも購入することはできなかった。
北区、足立区が一番高くなっていて3,300円、江東区が3,100円、大田区が2,600円となった。
古地図ブームなのだろうか?