葉っぱが邪魔で、普通に撮るとこのようになってしまい、表札が良く見えない。
覚えていないが、葉っぱが濡れているので、この日は雨だったのか?
発見日 2021年7月1日
発見場所 東京都大田区西六郷1丁目
「蒲田區」の文字ははっきりしているが、町名「町屋町」と番地は消されたのだろうか、白い文字で書かれたようになってしまっている。
旧蒲田区も戦争の被害がとても大きい地域であった。
昭和20年4月15日深夜、東京都大田区(当時は大森区・蒲田区)のほぼ全域(羽田、大森、池上、 荏原、蒲田等)に米B29爆撃機202機が飛来、焼失家屋は約7万戸(一説に22万戸)を数え、帝都防空本部情報第170号には「蒲田区は全区の99%焼失」と記録されている。
大田区が度々狙われた理由は、昭和7年には1,112箇所だった工場が昭和16年には5,148箇所に増加し、その多くが軍需工場(下請の部品工場)だったと推測されている。
さらに軍需工場について調べていたところ、レファレンス協同データベースに次の記載があった。
「第1回の軍需会社指定は昭和19年1月、軍需省・陸軍省・海軍省・運輸通信省告示第1号により航空機関系会社150社にたいして行われた。大森・蒲田両区内に工場を持つ会社で指定を受けたのは、三菱重工業・日立航空機・東京航空機・富士飛行機・日本光学工業・中央工業・日本建設工業・田中航空計器・日本鋼管・日本特殊鋼・特殊製鋼・日立精機・三井精機工業・日本精工・東京芝浦電気・日本内燃機・新潟鉄工所・昭和石油の18社であった。さらに、同年4月、金属・石炭・電力などの軍需産業で第二次指定として424社(このうち大森・蒲田に工場を持つ会社は53社)、さらに12月に109社、計683社が指定された。」
「ちなみに、昭和18年版『東京市蒲田区勢要覧』は、「兵事」「工業」については「軍機ノ秘密ニ付省略」されている。」
「これら軍需工場は、昭和19年8月に軍需省総動員局が発行した「極秘」印のある『防空法施行令第16条ノ4ニ依ル軍需大臣指定工場事業名簿』によりうかがえるが、(中略)この名簿は、題名のとおり、軍需大臣の責任で、防空設備や防空資材の整備および偽装、防弾、分散疎開、転換または応急復旧の実施をすべき工場・事業場明を記した名簿で、都道府県ごとに、会社名・工場名・工場所在地・主要製品名を表記したものである。それによれば、東京都内で掲載された695工場・事業場のうち、大森・蒲田両区内のものは172、都内全数の24.77%を占めている。すなわち都内の四分の一の軍需工場が現大田区内に立地していたわけで、文字どおり「兵器廠としての街」としての景観を示していたといえよう。」
このような中、この門柱と表札が残っていたとは、奇跡に近いことだろう。
歴史
明治22年(1889年)
市制町村制施行時点の大字名:東京府荏原郡六郷町大字町屋
昭和7年(1932年)
蒲田区成立時の町名:東京府東京市蒲田区町屋町
昭和12年(1937年)
町名変更実施後の町名:西六郷1・2、仲六郷2・3