以前に発見したものだが、探索途中に再訪(2022年4月17日)し、現存を確認してきたので、紹介しよう。
発見日 2020年12月19日
発見場所 東京都江東区佐賀1丁目
佐賀町河岸通り
歴史
1878年 (明治11年)11月2日
郡区町村編制法施行により、深川區が成立、深川區深川佐賀町となる。
1911年(明治44年)
深川の冠称が外され、深川區佐賀町となる。
1931年(昭和6年)
関東大震災後の区画整理で旧来の佐賀町が解体され、旧佐賀町二丁目・松賀町の全部および小松町・富吉町の各一部から佐賀町一丁目が、旧佐賀町一丁目・西永代町・堀川町・中川町・富田町・今川町の全部から佐賀町二丁目が設置された。
1947年(昭和22年)3月15日
深川区・城東区合併による江東区成立により、「深川」の冠称が付けられ江東区深川佐賀町一丁目から二丁目となる。
1969年(昭和44年)4月1日
住居表示の実施により、一丁目が佐賀一丁目、二丁目が佐賀二丁目となる。
地名の由来
元禄8年の検地後この地形が肥前国佐賀湊に似ているために名付けられたと伝わる。
上之橋
上之橋(かみのはし)は、江戸時代から仙台堀の佐賀町河岸通りに架る橋として、大きな役割を果たしてきた。中之橋、下之橋とともに、佐賀町を上佐賀、中佐賀、下佐賀に分ける橋であった。
本橋は、昭和5年(1930)震災復興事業により架設され、昭和59年(1984)、清澄排水機場建設に伴い撤去された。ここに橋名を刻んだ親柱4本を保存し、橋の歴史を永くとどめるものとする。
昭和61年(1986)11月 江東区
観光高札「中之橋跡」
観光高札「油堀跡」
油堀は木場へ通じていた堀でした。寛永18年(1641)にできた元木場(佐賀・福住一帯)の堀を利用したもので、元禄12年(1699)元木場の移転と永代浦の開発に伴い川幅が15間に拡げられ、木場へと伸ばされました。隅田川対岸の火の見櫓のそばに見えるのは油堀に架かる下之橋です。名前の由来は油問屋の油会所や油置場が緑橋付近にあったことに因みます。近くには干鰯場(ほしかば)があり、また「いろは蔵」と呼ばれた蔵も立ち並んでいました。材木や油、干鰯など様々な物を積んだ船が油堀を行き来していました。油堀を富岡八幡宮へ進んでいくと小説で有名な稲荷寿司屋台の富岡橋があり、この橋は歌舞伎「髪結新三(かみゆいしんざ)」の舞台として「閻魔堂橋(えんまどうばし)」の名前でもよく知られています。
銅板葺き?
戸袋か?どこの部分かわからないが、壁の色に合わせたのだろうか、ペンキで塗られた銅板葺きと思われるものが、設置されていた。
モニュメント的に残したのだろうか?
銅板葺き大好き人間なので、このような物でも気になるのである。