戦前のものと思われる旧町名と戦後の旧町名が、二つ並んでいた。
このようなものはあまり見かけない。
貴重なツーショットだ。
発見日 2022年5月9日
右側は戦前の旧「淺草區北松山町」時代のものと思われる。
左側は戦後の旧「台東区浅草北松山町」のもの。
木製なので、読み取りにくいが、まだましな方だ。
いくつか未紹介の木製のものがあるのだが、自分では読み取れず、紹介してもいいのか迷っているものがある。
自分で自信をもって読み取れるようになったら紹介しようと思っている。
本当に老眼は不便だ。
老眼は治るものではないし、読み取れる日はいつか来るのだろうか・・・。
昨日(2022年6月8日)「何だ!?これミステリー」で平等院の鳳凰堂が創建された1053年(平安時代)当初に使われていた木製中央扉を光学調査で解析をしたところ、菩薩(ぼさつ)が描かれていることがわかったというようなことを紹介していた。
肉眼で確認できない木製の表札をあのような装置で調査できれば、新たな旧町名の発見できる可能性があるのになあと思ったが、無理だよな。
旧町名由来案内 下町まちしるべ
歴史
1869(明治2)年
正行寺、正覚寺、成就寺等、15ヶ寺を併せ、浅草松山町が起立。
1871(明治4)年
新寺通り(現在の浅草通り)で南北に2分された。
1872(明治5)年
町名に南北を冠し、浅草南松山町、浅草北松山町が誕生する。
1943(昭和18)年7月1日
東京都浅草区に所属。
1947(昭和22)年3月15日
東京都台東区に所属。