歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

発掘石垣と神田青果市場跡地 in 秋葉原UDX

身近なところにも史跡は残っていた。

この存在は以前から知っていたが、記事に書いてみようと思ったのは最近のことだ。

興味が湧くものがだんだんと増えてくる。

 

訪問日  2023年2月4、24日

訪問場所 東京都千代田区外神田4-14-1

 

秋葉原UDXの築堤石垣


発掘石垣の再利用

秋葉原UDXの建設に先立ち、平成13年に東京都埋蔵文化財センターによる発掘が行われました。
神田青果市場の基礎の下からは60mに及ぶ江戸時代中頃の石垣が姿を現し、解体調査のうえその一部を当ビルのランドスケープデザインとして再び生かすこととなりました。
ひとつひとつ丁寧にクサビ状に加工されたこれらの石は重厚なもので当時この地にあった武家屋敷の土台を支えたものであったと考えられています。 発掘された石垣の一部は、 秋葉原UDXの築堤石垣と駅前広場側モニュメントとして再利用されています。

発掘調査:東京都埋蔵文化財センター
 写真・図版提供:東京都教育委員会

 

駅前広場側モニュメント

 

一番島から全体を撮ったもの

 

六番島から全体を撮ったもの

 

一番右側にある島

 

一番目と二番目の島

 

三番目と四番目の島

 

五番目と六番目の島

秋葉原UDX は長く大名・旗本の屋敷が続いていた場所でした。図は明暦3(1657)年頃の絵図です。神田川に架かる筋違橋(現在の万世橋)や、そこから延びる御成小路(現在の中央通)、西には神田明神も描かれています。
秋葉原UDX敷地内に再現された石垣は江戸時代中頃の大名屋敷に用いられていました。
発掘された石垣の一部は、秋葉原UDXの築堤石垣と駅前広場側モニュメントとして再利用されています。

発掘調査:東京都埋蔵文化財センター
写真提供:東京都教育委員会
絵図提供:原書房(江城下変遷絵図集)

 

神田青果市場跡地の説明板

六番目の島にある

昭和三年(一九二八年)から平成元年(一九八九年)の 六十一年の間、ここに日本一の青果市場がありました。
現在、市場は大田区東海に移転し、大田市場と名を変えています。
神田青果市場の前身は慶長十七年(一六一二年)に 徳川幕府によって神田多町に設けられ、その後この地に移転しました。
江戸時代から続いている神田祭では、現在も市場関係者により市場の千貫神輿が担がれ、昔の心意気を今に伝えています。

江戸神社奉賛会 平成19年12月

 

神田青果市場全景

 

三種類の案内図

それぞれに築堤石垣と駅前広場側モニュメントが描かれているのだが、わかるだろうか?