浦安市当代島は現存しているので、厳密に言うと旧町名ではなく旧自治体名と言うことになるのだろうけれど、現存していない小字も紹介しているので、旧町名扱いにしてもいいだろう。
シンプルなもの、フルバージョンに近いもの、小字付のもの、"区"と"組"が付いているものといろいろバリエーション豊かなものが発見できた。
発見日 2024年7月6日
①浦安町当代島
②千葉県東葛飾郡浦安町当代島
③浦安町当代島北境
現「北栄(きたざかえ)」
北部土地改良事業前は、耕地で29の字があったが、事業後5字(元割・新中宿・辰己・砂田・北境)になり、さらに昭和56年、住居表示で「北栄」になった。
字名(地区名)「北栄」は、旧字名の「北境」と、この地区に浦安駅があることから将来発展することを見込んで名付けられた。
④浦安町當代島 区 組
「区」と「組」の組み合わせは初めて見たかもしれない。
浦安市のホームページを調べてみたが分からない。
「番地」と「号」の関係のようなものだろうか?
さらに調べていると、大分県臼杵市のホームページにこのようなことが載っていた。
「大字番地」と「行政区」表示の住所の違いを教えてください。
大字番地表示
例・・臼杵市大字臼杵72番地の1 住民基本台帳法上の住所です。
行政区表示
例・・洲崎〇組・野津市〇区・三重野木ノ下班 各自治会で定めた臼杵市内の通称です。更に、各地域を「区」で分け、1組・2組・・・といったように分けられているところもあり、市報の発送・学校区や選挙時の投票所などはこれらの区割りを利用しています。また、市役所では大字番地表示のものを「住所」、「区・組」表示のものを「行政区」として区別しています。
※行政区表示は住民基本台帳法上の住所ではありませんので、各種手続きや契約をする場合は「大字〇〇番地」で記入することをお勧めします。
ということは通称町名みたいなものなのかなとも思ったが、「3208区」って数字が大き過ぎ。
歴史
1871年(明治4年) 廃藩置県後の府県再編により印旛県葛飾郡当代島村となる。
1873年(明治6年) 県の統合により千葉県葛飾郡当代島村となる。
1878年(明治11年) 郡区町村編制法により葛飾郡が分割され、東葛飾郡当代島村となる。
1889年(明治22年) 東葛飾郡堀江村、猫実村と合併し、東葛飾郡浦安村大字当代島となる。
1909年(明治42年)9月1日 町制施行。東葛飾郡浦安町大字当代島となる。
1981年(昭和56年)4月1日 市制施行。浦安市大字当代島となる。
1981年(昭和56年)10月1日 住居表示施行により、浦安市当代島一丁目~三丁目となる。
地名の由来
鎌倉時代に田中十兵衛がここを開墾したことにより、住みついた住民が当代(自分たちが生まれ育った時代)にできた島であるので「当代島」と名付けたと言われている。また、昔ここに灯台があったからという説もある。