歩・探・見・感

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琺瑯住所プレート 蛎殻町二丁目六番地五

発見日  2021年9月25日

発見場所 東京都中央区蛎殻町2丁目

蛎殻町を歩いていて見つけたもの。富澤町の琺瑯住所プレートを探していたのだが、残念なことに建物が解体され、更地になっていた。
帰ってからストリートビューで確認してみると、2020年3月の画像では、現存が確認できた。訪問するのが遅すぎた・・・。

意気消沈していたが、これを見つけることができ、元気が回復した。

元気の回復の元がこれである、といったものの、エアコンのホースらしきものが邪魔で、うまく撮ることはできなかった。
それでも何とか角度を変えて撮ったみたのがこれである。
一番右の写真は少しぼけてしまったが、掲載することとする。

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蛎殻町の歴史をたどってみた。

1878年明治10年
日本橋區が設置され、蛎殻町一丁目から三丁目までの丁目が設けられた。 

1947年(昭和22年)
日本橋區と京橋區の統合による中央区の設立に際し、「日本橋」が冠称とされ、「日本橋蛎殻町」が行政区画の名称となった。

1976年(昭和51年)1月1日
日本橋蛎殻町を含む地域の住居表示が実施され、現在の日本橋蛎殻町の町域となった。これにより、「旧:日本橋蛎殻町一丁目」及び「旧:日本橋蛎殻町二丁目」が「現:日本橋蛎殻町一丁目」に、「旧:日本橋蛎殻町三丁目」及び「旧:日本橋蛎殻町四丁目」が「現:日本橋蛎殻町二丁目」に統合されたが、その際、「旧:日本橋蛎殻町二丁目」の一部(新大橋通りの北側部分)は日本橋人形町一丁目に、「旧:日本橋蛎殻町四丁目」の一部(新大橋通りの北側部分)は日本橋人形町二丁目に編入された。

町名に「日本橋」がなく、番地も今と違うので、1947年以前の日本橋區時代の旧町名の物だと思われる。
ということは、設置されてから70年以上経過していることになるわけだ。
中央の写真で分かるが、右側下部が劣化してきていて、番地の番の字が少し見えなくなってきている。