旧町名「本郷區根津須賀町」が発見されたとの情報をネットで入手し、訪問してきた。
この場所は、たぶんマニアの方には有名な表具店なので、ご存じの方も多いと思う。そういう自分も何回か訪問したことがある。
以前は、下の写真のような「火災予防推進モデル地区」プレートが上に張られていて、下に何が隠されているのかわからなかった。(撮影日2020年9月12日)
プレートで隠されてはいたが、全体ではなく、上部に本郷區の文字の一部が見えており、なんらかの住所が記載されていることが想定されていた。
更に、老眼の自分の目ではよくわからないが、下部に仁丹の文字が書かれているようだ。
となると東京都に残っている最後の仁丹町名看板なのかもしれない。
仁丹町名看板は東京市に大正7年以降、約9万枚設置されたらしいが、そのほとんどは関東大震災や第二次世界大戦で消滅してしまったのだろう。
京都にはまだ多くの仁丹町名看板が残っているらしいが、訪問して探索してみたいものだ。
文京区には「文京區駒込追分町」の大型の白い木製の町名看板が存在している(後日紹介予定)が、これは仁丹町名看板かどうか不明である。
いつ、どのような理由でプレートが取り外されたのかわからないが、訪問したところ、情報通り、取り外されていた。
この取り外されたプレートの所在も気になる。廃棄されてしまったのだろうか?
発見日 2021年10月12日
発見場所 東京都文京区根津1丁目
しばらく見入ってしまった。
素晴らしいの一言だ。
ずっと見れないと思っていたものが見れたのだ。
通りかかりの人は、何で板切れなんかを見ているのだろうと、怪訝そうな目をして通り過ぎてゆく。と視線を感じ、自分ではそう思った、本当はどうか知らないけれど。
そんな目は気にしない。
これが東京23区内で存在していることの貴重さはマニアしかわからないだろう。
元は白塗りで区名は赤で書かれていたのだろうか。さらされていたのは区名の上部だけだが、区名全体が色落ちしてしまっている
住所は黒い文字で書かれていたのがわかる。上部の一部は色落ちしているが、全体的には、プレートが上に張られていたおかげで、劣化が進むのを免れていたようだ。
このようにさらされてしまい、日の目が当たったこと自体、マニアにとっては全貌が見れて非常にうれしいが、木製だけに、この先風雨・直射日光にさらされて、劣化が進行する可能性があるのが、とても心配である。
このままにしておくなら、UVカットのプラスチックカバーを上からかぶせて保護・保存してほしい。
または、文京区か東京都の文化財担当の方が動いてくれて「江戸東京たてもの館」に保存展示してもらえるのが、一番いいかもしれない。
他にも保存展示してもらいたいものが「霊岸島」等いくつかあるので、併せてお願いしたいくらいである。
沿革
前身の根津社地門前として、慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。
慶応4年7月17日(1868年9月3日)
東京府に所属。
1869年(明治2年)
「根津須賀町」と改称。
1947年(昭和22年)3月15日
東京都文京区に所属。
1965年(昭和40年)4月1日
住居表示の実施により、根津一丁目に編入となり消滅。
町名の由来
「根津神社の主神は素戔嗚尊にて即ち須賀社なるにより」(画報)とある。
この表具店には、根津八重垣町時代の電力プレートも設置されている。後日紹介予定だが、違う町名のものが設置されているのは謎である。