以前、発見した「東京放送局聴取章」を2回紹介したことがある。
①東京都北区
②埼玉県さいたま市
こうなるとあまりレア感がなくなってくるが、90年以上前から存在していることを考えると、貴重な物には変わりない。
発見日 2022年12月23日
発見場所 埼玉県川口市本町一丁目
旧芝崎平七邸の薬医門
旧白門通りと旧芝崎平七邸
明治6年(1873)、川口市域最初の小学校である川口小学校が、旧芝崎平七邸の離れを校舎に利用し開設しました。 これが現在の本町小学校の前身となります。
この学校は、洋風の白いアーチ状の校門があったため「白門小学校」と呼ばれ、校門から校舎までの通りを「白門通り」と呼び親しまれました。道を挟み向かい側にある御成道(現在の本一通り)に向かう小路が「白門通り」の名残です。
当時の芝崎家当主芝崎平七は、私費を投じて小学校の運営に尽力し、明治12年3月1日の埼玉新報には「川口町芝崎平七の功労」と紹介され、新たに校舎を建て生徒の教材文具にも心配りをしていたことが伝えられています。
川口における学校教育がここから始まったのです。
この「旧芝崎平七邸」の門に設置されていたのがこれだ。
これはもしかしたら、「東京放送局聴取章」ではないか?
光の加減で、老眼の自分の目では、すぐわからなかった。
写真を撮って、拡大してみて、確信した。
やはりそうだった。
発見した中では一番劣化しているが、「聴取無線電話」と「東京放送局」の文字が確認できる。
番号を確認したかったが、劣化がひどく、判読できない。
この歴史ある門を見る人はいるだろうが、それに設置されているこのようなプレートに目を向ける人はたぶん誰もいないだろう。
川口市立本町小学校
来年開校150周年を迎えるそうだ。
開校した時の学校の名前は、「第11中学区36番川口学校」。
川口で最初にできた小学校なので、学校番号が1番となり、一番校と言われることもあるらしい。
1947年(昭和22年)に、現在の「川口市立本町小学校」という学校名になった。