「無名橋」のことは元々は渋谷区にある「川無橋」と合わせて紹介する予定だった。
両方とも「無」が付くのでまとめて紹介することにしていたのだが、「無名橋」、「水無橋」、それぞれで記事を書けそうなので、別々に紹介することにした。
「水無橋」については下記の記事で紹介済だ。
訪問日 2024年3月21、23日、28日
2024年3月21日 晴
2024年3月23日 曇り時々雨、雨時々曇り、どっちだ? でも雨は小雨
2024年3月28日 雨
2024年4月30日 曇り
千駄ヶ谷駅方面から外苑西通りに出て、線路下を通るとすぐ右側に公園があった。
リアリティある動物の遊具が印象的。

右からトラ、ライオン、ラクダ、イノシシ、イヌ
ゾウだけ少し離れたところにいた。

沼に入っているように見える。
鼻から棒が出ている、痛いのか、黒い涙を流していた。
階段を上ってみると、この公園が「大番児童遊園」という名前であることが分かった。

レトロな感じがする入口。

開園日は1974年(昭和49年)5月30日。
千駄ヶ谷駅から信濃町駅に向かう歩道を歩いていたら、無名橋という交差点があった。
橋には「大番町通跨線道路橋施設」と書かれたプレートが設置してあった。

施設者が「東京都水道局長」とあるように水道菅が橋の上に載せられている。

調べてみると、御茶ノ水駅と中野駅間で総武線と中央線の復々線になった1932年(昭和7年)頃に竣工したそうだ。そうなるともう約90年経過していることになる。
地震で倒壊する恐れがあるため、解体も検討されているそうだが、今後この橋の運命はどうなるのだろうか?
ところで「大番町」はこの辺りの旧町名で、1943年(昭和18年)4月1日、隣の右京町と合併し大京町を起立し消滅してしまった。
大京町は旧町名のそれぞれ一文字とってつけられたもの。
信濃町橋から見た橋


千駄ヶ谷駅へ向かう電車の車中から見た橋


一番後ろの車両の運転席の窓に張り付いたオジサンの姿が映らないよう、スマホのカメラをぴったりくっつけて撮る。
調べていたところ、明治神宮外苑、神宮球場、新国立競技場はかつての青山練兵場があったところだということがわかった。そこに、出征列車の始発駅甲武鉄道(現・JR中央線)の青山停車場(駅)、通称「青山練兵場停車場」があった。
青山停車場があった時代には、3本の橋が架けられていた。そのうち残っているのが無名橋という名前で知られているこの橋だけとなってしまったようだ。
確認できていないが、撤去されてしまった2本の橋の信濃町駅側跨線橋(輜重兵営前陸橋)跡の土台、千駄ヶ谷駅側跨線橋(輜重廠前陸橋)跡の土台が線路わきの茂みの中に残っているようだ。
2本の橋の土台は、ストリートビューの航空写真でも確認できなかった。
草が枯れてから歩道がない線路わきを歩いていけばもしかしたら確認できるのかもしれない。
どうして無名橋と名付けられたのかはわからないそうだが、橋には「大番町通跨線道路橋施設」というプレートが設置されていたし、港区赤坂地区総合支所協働推進課が発行している2022年(令和4年)8月発行の「赤坂・青山地域情報誌」第58号に『出征兵士たちの旅立ちの地』と言う記事の中に、今回紹介した青山軍用停車場まで引き込み線のことが書かれており、橋も「大番町通跨線橋」と書かれていた。
「大番町通陸橋」という名称でもいい。
旧町名「大番町」の痕跡を残す意味でも名前がある橋に格上げしてほしい。
合わせて交差点名も変更してほしい。
シール対応でも構わないから。