今回の探索範囲はこの辺り。

歴史ある坂の説明から入ろう。


江戸時代には、社寺や大名屋敷は、ほとんど移転することもなかったので交通の重要な目印となていました。この坂は昔、この地にあった小笠原壱岐守の下屋敷にちなんで壱岐殿坂と呼ばれていました。
当時、小笠原家は、九州佐賀県唐津六万石の大名でした。壱岐坂は、白山通り(本郷1丁目20・22の間)から上り、東洋女子短大の所で通称大横町へ至る細い坂道です。

「壱岐殿坂」ともいう。
江戸時代からある占い坂である。近隣に屋敷があった武家の名前から坂名がつけられたとみられるが、江戸時代の地誌に「彦坂壱岐守」の屋敷があったことによって名付けられたとか、「小笠原壱岐守下屋敷」があったことによって名付けられたとかあって、江戸時代においても諸説があった。(御府内備考)
この古い壱岐坂は、新しくできた広く大きな新壱岐坂に途中で分断される形となった。
文京区教育委員会 平成28年3月
古い説明板に書かれていた文章。
「壱岐坂は御弓町へのぼる坂なり。彦坂壱岐守屋敷ありしゆへの名なりといふ。按に元和年中(1615~1623)の本郷の図を見るに、此坂の右の方に小笠原壱岐守下屋敷ありて吉祥寺に隣れり。おそらくは此小笠原よりおこりし名なるべし。」(改撰江戸志)
御弓町については「慶長・元和の頃御弓同心組屋敷となる。」とある。(旧事茗話)
文京区 昭和48年3月
新壱岐坂

本郷1-22と23の間
大正12年(1923)の関東大震災の復興計画によって、新しくひらかれた昭和の坂である。
この坂の中ほどにある東洋学園大学のわきで、この坂と斜めに交差している細い坂道がある。「壱岐(殿)坂」という。壱岐坂の水道橋寄りに小笠原壱岐守の下屋敷があったので、この名がついたといわれる。江戸時代からあった古い坂である。
ながい歴史のある壱岐(殿)坂の名をとって,この坂を“新壱岐坂”とした。現在は、区内の幹線道路としてひろく知られているが、もとになった壱岐(殿)坂の名は忘れられようとしている。
東京都文京区教育委員会 平成元年3月
"東洋学園大学"のシールが貼られているがその下は"東洋女子短期大学"だった。
さあ、この付近にあるらしい"岐"の文字がある蓋を探すことにしよう。
①本富士警察署壱岐坂交番横の車道と歩道にふたつあった。




左側のは右側が切り取られてしまっている。
②少し坂を下った所にもうひとつあった。


上部が少し欠けている。
"岐"は"壱岐坂"の名前からと思われるが、神社や商店街もないし、?
"壱岐坂"の説明板の後ろにある歴史を感じるマンションの石塀

ここにしか残っていない。
そのマンションに建築計画のお知らせが貼ってあった。

この石塀はなくなってしまうのだろうか?
撮影日 2025年3月8、11日
撮影場所 東京都文京区本郷一丁目