歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

おおさき今昔MAP & 大崎てくてくマップ

大崎駅改札を出たところに展示してあった。

おおさき今昔MAP



左側

01 | 茶室のテーマパーク「大崎苑」
江戸時代、現在の北品川五丁目付近には、松江藩松平家(島根県)の江戸下屋敷「大崎苑」がありました。ここには千利休が造った「独楽庵」など11もの茶室があり、七代藩主・松平治郷(不昧公)が居を構えました。不昧公は茶禅一味を追求し、「不昧流」と呼ばれる大名茶を完成させた江戸を代表する茶人でした。

02 | 日本初のベアリング製造「日本精工
日本精工は、大正3年、現在の大崎に本社工場を構え、家電から人工衛星まで支えるベアリング技術を世界に届けてきました。当時の大崎は田園地帯で、隣には屠牛場と牛舎があるのみでしたが、ここから100年以上をかけて、世界的な先進技術が育まれました。

03 | 大崎の地に根付いた「明電舎
大正2年明電舎は大崎2丁目の池や水田が広がる“未開の地"、に工場を創設。当時は電力事情も悪く、飲み水さえ不足する土地でしたが、隣接する大崎貨物駅の利便性を生かして物流拠点とし、世界的インフラ企業へと飛躍しました。

中央

04 | 日本初の飛行船が飛んだ
大崎がものづくりのまちとして発展したルーツは、明治期の富国政策に始まります。目黒川河畔には先端技術の拠点が次々と誕生し、その一つが日本初の飛行船を造った(株)気球製作所です。明治43年、「山田式一号飛行船」が大崎から駒場まで7kmのテスト飛行に成功し、日本初の飛行記録を達成しました。

(左)「山田式一号飛行船」は試行錯誤を経て誕生しました。大崎での初飛行成功にちなみ、9月20日は「空の日」になりました。
(右)「山田式三号飛行船」は、大崎から日比谷、愛宕山を経て再び大崎へ帰還。約20kmの飛行で、初めて東京上空一周に成功しました。

05 | 国産初の大型オートバイ「陸王
陸王」は昭和10年、製薬企業・三共(現・第一三共)の系列会社、三共内燃機が米国ハーレーダビッドソン国産化して誕生しました。品川工場で年間数千台を生産し、昭和12年には日本陸軍軍用車として採用され、高い出力と耐久性を発揮しました。
(左)品川工場に並ぶ陸王
(右)軍用オートバイとして使用された97式陸王

右側

06 | 名僧沢庵が生涯を閉じた地「東海寺」
沢庵和尚は徳川家光により北品川三丁目の東海寺開山を任されました。「沢庵漬け」の名の由来は、保存食だった大根の「貯え漬け」を家光が気に入り、沢庵の名を冠したことに始まるとされます。この逸話は、質素で実直な暮らしの大切さを将軍に説いた沢庵の人柄を伝えています。

07 | 日本初の「洋式ガラス工場」
明治6年、沢庵和尚ゆかりの東海寺境内、目黒川河口付近に創設された「興業社」は、その後官営の「品川硝子製造所」、さらに民間の「品川硝子会社」となりましたが、板ガラス製造の失敗などにより明治25年に解散しました。
(左)明治9年に建てられたレンガ造の「品川硝子製造所」の一部は、昭和44年に愛知県犬山市の「博物館明治村」に移築され、登録有形文化財として保存・展示されています。(右)明治21年、「品川硝子会社」で日本初となる大量生産のビール瓶が製造されました。

08 | 都内随一の大植物園「妙華園」
かつて三ツ木村や苗木村と呼ばれた現在の西品川一・二丁目には、一万坪の花畑をもつ植物園「妙華園」がありました。園内ではスイレンやバラ、ランなど珍しい西洋植物が栽培され、小動物園も併設されて人気を集めました。園芸に適したこの地では、特産品としてメロンも育てられました。

まず大崎駅から「洋式ガラス工場」跡に行こうと思ったのだが、道を間違え、結局最後に行くことになってしまった。

史跡 官営品川硝子製作所跡

近代硝子工業発祥之地

此ノ地ハ本邦最初ノ洋式硝子工場興業社ノ跡デアル 同社ハ明治六年時ノ太政大臣三条実美ノ家令丹羽正庸等ノ発起ニヨリ我国ニ始メテ英国ノ最新技術機械施設等ヲ導入シ外人指導ノ下ニ広大ナ規模ト組織ニ依テ創立サレタモノデアル
 然ルニ最初ハ技術至難ノタメ経営困難ニ陥リ同九年政府ノ買上ゲル所トナリ官営ノ品川硝子製作所トシテ事業ヲ再開シタ 同十七年ニハ再ビ民営ニ移サレ西村勝三其ノ衝ニ膺リ同廿一年品川硝子会社トシテ再興ノ機運ヲ迎ヘタガ収支償ハズ同二十六年マタマタ解散ノ已ムナキニ至ッタ
 其ノ間育成サレタ技術者ハ東西ニ分布シテ夫々業ヲ拓キ斯業ノ開発ニ貢献シ本邦硝子興業今日ノ基礎原動力トナリ我国産業ノ興隆ニ寄与スル所頗ル大ナルモノガアッタ
 吾等ハ其ノ業績ノ偉大ナルヲ偲ビ遺跡ノ保存ヲ図ッタガ會々此ノ挙ニ賛シタ 三共株式会社ハ進ンデ建設地ヲ無償提供サレタ 斯クテ有志ノ協賛ト相俟ッテ今茲ニ由緒アル発祥地ニ建碑先人ノ功ヲ不朽ニ伝フルヲ得タノデアル

昭和四十年十二月

品川区指定史跡 官営品川硝子製作所跡

    所在 北品川四丁目十一番五号
          第一三共株式会社前
    指定 昭和五十三年十一月二十二日 (第八号)

 日本における近代ガラス工業発展のもとになったのは、明治六年(一八七三)に東海寺境内に創設された興業社である。
 興業社は、明治九年(一八七六)に工部省に買収されて官営品川硝子製造所となり全国のガラス工業の発展に貢献した。明治十八年(一八八五)には西村勝三らに払い下げられて民間経営となったが、経営不振のため、明治二十五年(一八九二)に解散した。
 昭和三十六年(一九六一)に官営時代の建物は取り片づけられたが、煉瓦造りの工場の一部は明治初期の貴重な建築物として、愛知県犬山市明治村へ移築され保存されている。

平成二十七年八月三十一日
品川区教育委員会

珪石(ガラス原料)



大崎てくてくマップ

こちらは、古くからあるものではなく、新しいものだったので、あまり関心を持てなかった。

撮影日 2025年5月3日