歩・探・見・感

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電力プレート オキノ-77

発見日  2021年10月4日

発見場所 東京都足立区興野2丁目

「興野」に電力プレートの目撃情報はなかったが、たまたま歩いていたら、古そうな木製の門に設置されていたのを発見した。
それしてもよく見つけたなと自分ながら感心した。
途中「庚申塔」があったので、古い道かなと思い、先を進んだ結果である。
庚申塔」様、ありがとうございます。

「興野」は「こしの」と読んでしまいそうだが、「おきの」である。

これは「興野町」時代の物か?

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地名の由来
有力な説では江戸時代の開拓期に「奥野」と表記され呼ばれていたものが転訛し「興野」となった、というものである

沿革
明治22年(1889年)5月1日
東京府南足立郡興野村が周辺の村と合併し、西新井村が成立。南足立郡西新井村大字興野となる(西新井村は後に町制が施行され、西新井町となる)。

昭和7年(1932年)10月1日
南足立郡東京市足立区となる。西新井町大字興野は足立区興野町となる。

昭和36年(1961年)8月1日
興野町の一部が本木北町編入される。

昭和43年(1968年)12月1日
興野町・本木町三丁目の一部に住居表示が実施され、興野一・二丁目が設置される。

昭和44年(1969年)8月1日
興野町の一部に住居表示が実施され、本木二丁目に編入される。

昭和45年(1970年)8月1日
興野町の残存地域に住居表示が実施され、西新井栄町一・三丁目に編入される。

「興野町423」の琺瑯町名看板があるはずのだが、見つからない。
以前、この家屋のはずだというのは分かっていたので、訪問してみたのだが、植物に覆われていて確認できなかった。
この日も訪問したのだが、植物はすっかり刈り取られていたが、肝心の琺瑯町名看板がない。消滅してしまったのだろうか?