歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

銅板葺き看板建築 東京都千代田区神田多町・神田須田町

もう何度も訪問している神田多町の古民家群に大きな変化が発生した。

「神田栄屋 ミルクホール」が2021年10月8日に閉店したのだ。
9月21日のツイッターで大きな話題になったそうだが、閉店の情報を知ったのは、閉店してからしばらくしてからだった。うかつだった。
気を取り直して、現状を確認しに訪問してこよう。

たまに店の前を通ることがあるのだが、入店したことはなかった。

探索時は、おいしそうな店があるなと思うことはあるが、ゆっくりランチをしている時間がもったいないので、店に入って昼を食べることはない。
水分補給は欠かさないようにしているが、パンやおにぎり類も食べない。
塩分補給のための飴とチョコ1,2枚を歩きながら食べてそれが昼食代わりのようなものだ。
そのせいか夏の暑い盛り、数時間ほとんど休まず歩き続けるようなことを続けていたため、体重が減ってしまい、今でもなかなか元に戻らない。特に体調の変化はないので、問題ないと思っているが。

そんな人のどうでもいい話は置いといて、本題に戻ろう。

訪問日 2021年10月30日

①神田栄屋 ミルクホール

店の前に立つと、「閉店のお知らせ」が掲載されていた。

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お客様各位

閉店のお知らせ

 突然ではございますが、このたび諸般の事情により
『神田栄屋ミルクホール』は、令和3年10月8日(金)を
もちまして、閉店することになりました。
昭和20年創業以来、76年という長い間、皆様に
支えられながら、今日までご愛顧賜りましたことを
心から感謝申し上げます。
 本当にありがとうございました。

 なお、皆様方の一層のご健勝を心よりお祈りいたし
まして、閉店・御礼のご挨拶とさせていただきます。

                  令和3年9月
          神田栄屋 ミルクホール店主

 

木で肝心の「サカエヤ」の文字が見えなくなってしまっているが、全景である。
2009年のストリートビューの画像を見ると木はなかったので、その後、この通り一帯に植樹されたのだろう。

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右側が住居部分になっていると思われ、1階部分は改装されているようだ。
左側の1階は店舗になっている。2階は住居部分だろう。
営業していたら、「ミルクホール」と書かれた暖簾が掛かっていたはずだ。
明かりがついており、中には、ご主人らしい人の姿が見えた。

銅板は、最初はピカピカの銅の色(赤橙色)である。
でもその輝く時代は数か月程で、半年もすると光沢感は落ち着くようだ。
そして経年変化で、赤橙色→褐色→暗褐色→黒褐色→そしてあのキレイな緑青色へ変化していく。
大都市にある銅板建築の銅板は、排気ガスの影響でキレイな緑青にはなりにくいそうだ。
でも、自分はこのような色に見慣れているので、これはこれで素晴らしい色だと思っている。
このまだらに変色している美しさに魅せられる。

 

建物の左側の店舗部分だけ写したもの。

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「サカエヤ」の看板が分かるように写したもの。

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この看板を少し考察してみた。
まずコカコーラのロゴだが、Drink Coca-ColaのDのみ大文字のロゴは昭和46年(1971年)から使用されているようだ。
それ以前は、DRINK Coca-ColaとDRINK全体が大文字だった。現在はEnjoyになっている。
電話番号の市内局番が「252」と3桁になっているが、4桁になったのは、平成3年(1991年)のようだ。

 

「神田栄屋 ミルクホール」の歴史
1945年(昭和20年)に開業。
もともとは先代が鎌倉橋で蕎麦屋をやっていて、「栄屋」という屋号はそのころの名残り。空襲で焼け出され、焼失をまぬかれた多町のここに移ってきた

ミルクホールと言われてもピンとこないが、和製語で牛乳を飲ませパンなどを売った簡易な飲食店のこと。庶民の休息所としてあんみつなどの甘味処が主流であったが西洋風喫茶として明治末期から一世を風靡したようだ。

昔ながらの醤油ラーメンや、カレーライスなどを提供していたが、以前は夏は、かき氷、アイスクリーム、ソーダ水、あんみつ、ところてん、冬は、お雑煮、お汁粉、甘酒、安倍川餅、磯辺巻き、他に、大福、カステラ、水羊羹、どら焼き、お煎餅も売っていて、食事は、ラーメン、丼モノ、焼きそば、ワンタンも提供していたそうだ。

神田多町の再開発を調べていたら、三井不動産レジデンシャル中央区)は「(仮称)千代田区神田多町二丁目計画」として共同住宅の新築を計画している。との記事を見つけた。
いつ解体が開始されるのかわからないが、今度は情報を早めに入手して、また訪問したいと思っている。
銅板の一枚くらい記念にいただくことはできないだろうか?
そういうば店の前に「御自由にお持ち帰り下さい」と張り紙がしてあり、コップなどが置いてあった。
当初はラジオなどもあったようだが、他にはどんなものがあったのだろう。

 

東京は空襲で多くの建物が消失したが、神田須田町淡路町ニコライ堂など教会があったおかげで空襲から逃れることができたとか、煉瓦造りの中央本線の線路や万世橋が防火壁となって延焼を免れたとか言われており、神田多町だけでなく、銅板葺き看板建築が残っている場所があるが、今回は神田多町を中心に紹介する。

 

神田多町に残る他の銅板葺き看板建築の現状も気になったので、併せて確認してきた。

越後屋

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現役の豆腐屋であるが、この日は休業日だったようで、店は開いていなかった。
創業は、明治後期、110年以上の歴史を持つ豆腐屋。 
 
以前訪問した時は、「屋後越」の「屋」と「越」の文字が無かったが、新しく設置されたようだ。
台風で「屋」と「越」の文字が取れてしまったそうだ。

 

③元ドライクリーニング サカエヤ

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この銅板葺き看板建築はよくある2軒長屋的な造りである。
こちらは閉店してしまったようである。
2階の右側に電気がついているので、住んでいる方はいるようだ。

 

④-1旧青果塩栄

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銅板の色が濃過ぎるように見えるが、濃い緑色にペイントされているのだと思われる。
建物は角地ならでの角切を生かしたデザインとなっている。
店頭のテントや増築されたものと思われる屋上の目隠し板(茶色の壁の3階部分)は看板建築にマッチした色使いとなっている。

④-2雨戸の戸袋

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雨戸の戸袋3枚に、江戸小紋だろうか、それぞれ違う模様が入っている。
中央の戸袋は、斜めに走る稲妻が、上下違う模様を分けている。

 

神田多町について

1606年(慶長11年)に起立した江戸古町「神田多町」。慶長年間に名主の河津五郎太夫が二丁目に菜市を開き、明暦の大火後規模を拡大し、御用市場「菜市」となって発展。
近代に入っても「神田青物市場」として繁栄を続けたが、関東大震災で壊滅し、1928年(昭和3年秋葉原に移転、3世紀余りの歴史を終えた。

神田多町は、地名としては神田多町二丁目のみが存在する。
かつては一丁目も存在したが、1966年に住居表示が行われ、一丁目は内神田三丁目の一部となった。

 

神田多町ではないが、近くなので神田須田町にある建物も確認してきた。

⑤鼠の穴

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ストリートビューで確認していたところ、以前はおでんの金三だった時があり、銅板の色が白っぽくなっていたが、途中で今の色に塗りなおしたようだった。
その後店舗が変わり、二灯奄となったが、今は鼠の穴となっている。

この建物は築100年だそうだ。
正面頭部のデザインが特徴的である。

 

⑥ヤマニ裏地店

「鼠の穴」の右隣にあったはずの「株式会社昌平薬品」「神田宝仙堂」「有限会社ヤマニ裏地店」の看板建築一帯が解体されていた。

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2021年6月のストリートビューの画像では、まだ解体される様子もなかったが、その後解体されてしまったのだろう。
ヤマニ裏地店は別な場所で仮営業中のようだ。
跡地には、○○様邸新築工事という看板が立てられていたので、個人の住宅が建てられるのだろう。

 

もう1軒、銅板葺き看板建築があるのを忘れていた。

確認日  2021年12月29日
確認場所 東京都千代田区神田須田町1-8-5

⑦御菓子司 庄之助

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大相撲立行司として活躍した二十二代木村庄之助の子孫が営む和菓子屋だ。
創業は1949年(昭和24年)。

相撲の軍配の形をした「二十二代 庄之助最中」が有名だ。

 

店の横の下の方だけだが、銅板が残っている。

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植木が結構置かれており、生活感がある。

 

2022年1月8日

訪問した今日は休みだった。
それを幸いに、庇に隠れていた上を方を見たところ、銅板葺きが残っていた。
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八角形と四角形をつなげた文様は珍しい。これは蜀江文様(しょっこうもんよう)というようだ。

蜀江とは中国の蜀(しょく)の首都を流れる河のことで、この地域で、古くから良質の絹織物を産出し、その折柄の文様が八角形と四角形を組み合わせた物が多数あったことから、蜀江の名をつけたものだそうだ。

 

入口の下の方を見たら、4コマ漫画が貼られていた。

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