歩・探・見・感

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音無さくら緑地内旧石神井川の自然露頭

この日は北区飛鳥山歴史資料館を訪問後、滝野川を探索。

探索途中に貴重な自然景観を発見した。

以前付近は探索したことがあるはずだが、ここの存在は知らなかった。

 

発見日  2022年8月11日

発見場所 東京都北区王子本町一丁目

 

音無さくら緑地

この緑地は、石神井川の旧川を利用して出来たものです。ここには、サクラや、エゴノキ、コナラ等が植えられています。また、昔からの天然河岸も一部残っており、湧水を利用した流れもあります。ささやかな散策をたのしんでください。

 

緑の吊り橋

緑の吊橋はかって峡谷状の川に架かり、23区内唯一のものであったが、昭和33年の狩野川台風の水害で改修された。

全長約15m。

歩くと結構揺れる。

低いので、スリル満点だと言うほどでもないけれど、若いカップルだったら、女の子が「きゃー、揺らさないで―」と言って男の子に抱きつくかもしれない。
そんな経験はないけれど、若い頃を思い出して妄想に浸るのだった。

 

緑の吊り橋を渡った右側には、かつて音無川温泉という、東京都温泉許可第1号の温泉宿があったそうだ。
その割烹音無川<音無川温泉>は90年代初期に廃業したそうだ。

今は橋を渡ると民家がある。

 

左側の石に「音無渓谷」の説明板が設置してある。

石神井川は、東京都小金井市花小金井南町付近を源とし北区内で隅田川に合流するまでの延長25.2kmの河川です。 
一般には、石神井川の水源としては、石神井公園内の三宝寺ヶ池が有名ですが、周辺の市街化により涌水が減少したため水源は、一般家庭からの排水も少なくありません。 石神井川は大部分を台地上を流れているため、ゆるやかな流れの区間が多いのですが、板橋区加賀から下流になると渓谷状となり、水流もかなり急になります。そのため、昔はこの一帯の石神井川滝野川とその名を変えて呼ばれ、飛鳥山のあたりでは、この地を愛した徳川吉宗のふるさとにちなみ、音無川とさらに名を変えて呼ばれていました。 ごうごうとと音をたて、流れる川を音無川と呼んだところに、この地と将軍吉宗との深い関係が読み取れます。 
吉宗は『春は花、秋は紅葉』の例えにならい、飛鳥山に桜を植えさせる一方で、石神井川の両岸に紅葉を植えさせました。 
文化文政の頃には、滝野川の紅葉は江戸中に知られ、江戸名所図絵にも『楓樹の名所として其の名遠近に高し』と述べられています。
この紅葉は維新のころ、薪にして売られるところでしたが、羽鳥了浦という人がたまたま来あわせ、これを惜しんで残らず買い取り、そのまま保存することになり、明治大正にかけても滝野川の地は東京市民の避暑の地として賑わいました。 
現在でも、この音無さくら緑地では、当時の音無渓谷の姿をかいま見ることができます。 

この場所に緑の吊橋が初めて掛けられたのは、昭和29年のことでした。その後台風で崩壊し、昭和55年に新橋に変わりましたが、平成6年には緑地と調和した現在の吊橋となりました。

 

遊歩道

水はほとんど流れていなかった。

都内にいることを忘れてしまうぐらい静かな場所だ。

いや、今の時期はセミがうるさいくらい鳴いている。

奥の方に石の橋があり、案内板に「昔からの天然河岸も一部残っており」と書かれていた場所は、渡った先にあった。

 

音無さくら緑地内旧石神井川の自然露頭

音無さくら緑地(王子本町1丁目6番地先)は、まだ石神井川がくねくねと蛇行して流れていた頃の旧流路につくられたものです。

皆さんの正面にある崖地は、川の蛇行による侵食作用が最も大きくなる部分で、地形学ではこのような地形を攻撃斜面と呼んでいます。

視線を下げ、地下水がポタポタしみだしている縞状の部分より下方を注意深く観察してみますと、赤い酸化鉄に染まった砂質粘土の地層中に貝殻の化石を見つけることができるかもしれません。

この化石がはさまっている地層は地質学的には「東京層」と呼ばれる部分で、今から12〜13万年前の下末吉海進により、現在の東京都付近が海底になった頃に形成されたものです。

明治13年(1880年)、当時東京大学に地質学・古生物学の教授としてドイツから来日していたブラウンスが王子を訪れ石神井川沿いを調査しました。かつてこの場所のすぐ北には穀物脱穀する水車場があり、その露頭から多くの化石を採集しました。右の図はその時の調査をまとめた論文に掲載されたスケッチの一部です。

これまで、地層を観察するには、自然に形成された河岸の断面を見ることが基本とされてきました。しかし、近年都市化が進むにつれて岸辺を保つことがしだいに難しくなりました。このような自然の河岸が露頭している場所は東京区部では非常に珍しく、こうした地層を観察できる場所は学術的にも教育的にも大変貴重な場所といえます。

外見的にはただの斜面だ。

でも、よく見ると岩肌から水がしみ出している。

よく見なかったので、気が付かなかったが、どこかに貝殻の化石があるようだ。

普通だったら、コンクリートで埋められてしまっているだろう。

地方では珍しくないかもしれないが、コンクリートだらけの都会にこのようなものが残っているのは、素晴らしいことだ。

 

記念碑

石神井川は、昔から両岸に樹木がうっそうと茂り、深山幽谷の趣きがあったが、昭和四十年頃からの改修工事によって、美しい自然がつぎつぎと消えていくのを惜しみ、〇岸の自治会、商店街の各代表、神社仏閣の当主が昭和四十九年に「石神井川の自然を守る会」を結成、東京都、北区など関係当局に衷情を訴え、ここに旧川を利用して昔の面影の一部をとどめることに成功した。

よって記念碑をつくり、これを末代に伝えるものである。

昭和五十五年十月 
石神井川の自然を守る會 
東京都北区長 小林正千代 謹書

 

石神井川の遊歩道沿いにリアリティのある鳥の彫刻が設置されていた。

シジュウカラ

ヒヨドリ

コガモ

ハクセキレイ

コゲラ