歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

旧町名 日野市大字日野

日野市は、以前、町名看板探索で訪問したことがあると思っていたが、訪問する前に事前調査でその町名看板は消滅していることが分かったので、まだ訪問したことがないこととがわかった。
スッカリソンナコトハワスレテイタ。

 

事前調査不足の初訪問で、旧町名をいくつ発見できるだろうか?

結果から言うと、旧町名については、日野町のものや小字名のあるものは発見できなかった。

というのもは、別なものに興味がわいてしまい、そちらの方に、時間をかけてしまったのである。

新選組

それもあるが、日野市ウォーキングマップを見たせいもあり、別なものを探し求めることになってしまった。
それについてはいずれ記事を書くことにしよう。

 

今回は、小字名のものではないが、新旧の住所表示板が並んでいるというちょっと珍しいものを発見したので、それを紹介することにしよう。

 

発見日  2022年8月25日

発見場所 東京都日野市日野本町

 

まず2世代のもの

2世代横並び

これまで見た2世代は、表札と住所表示板(町名表示板+住居番号表示板)で、このように住所表示板が並んでいるのは珍しい。
初めて見たかもしれない。
他で見かけていれば気が付いていると思うので、初めてだと思うのだが、正直自信はない。

 

次は3世代のもの

3世代縦並び

これは表札が新旧の住所表示板に挟まれている。

この3世代縦並びは確実に初めて見たものだ。
これは本当に珍しいと思う。

日野市内を本格的に探索していないとはいえ、数時間歩き回って、発見したのはこの1件のお宅だけだ。

まだ、訪問していない自治体に存在している可能性はあるが、現時点では初見のものとしていいだろう。

マニアは初見にこだわる。

これも、どなたかに既に紹介されているかもしれないが、自分では初見なので、それでいいだろう。

 

1番古いのは2段目の表札で、2番目は3段目の大字日野の住所表示板だと思われる。
逆ということはないだろう。
たぶんだが・・・。

日野2210-1から7802-12に変更になったタイミングは、調べたが分からなかった。

 

歴史

かつては「日野宿」が設置されており、甲州街道の農業を中心とした宿場町として繁栄した。新選組の副長として活躍した土方歳三や六番組隊長の井上源三郎の出身地である。


1893年明治26年
三多摩が神奈川県から東京府編入。日野宿を日野町(初代)と改称。

1901年(明治34年
桑田村と合併し、改めて日野町(2代目)を新設。

1943年(昭和18年
東京都制施行。

1958年(昭和33年)
七生村と合併し、改めて日野町(3代目)を新設。現在の市域となる。

1963年(昭和38年)11月3日 
市制施行

1982年(昭和57年)7月1日
町名地番整理により日野本町が成立。

 

市名の由来

諸説あるがはっきりしていない。『武蔵名勝図会』によれば、府中にあった国府の烽火台が置かれたことによるという「飛火野説」をとっている。和銅6年火野を日野に改めたという。また、『新編武蔵風土記稿』によれば、武蔵七党のうち西党の祖日奉宗頼が、遠祖天御中主神を勧請して日野宮権現を祀ったという伝説に基づくという。他の説として、応永33年ころ、日野中納言資朝の玄孫、宮内資忠なるものが、当所に移住して土淵ノ庄をはじめて日野と号したという説も載せている。