歩・探・見・感

歩・探・見・感

ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

旧町名「西久保巴町」と「さる寺 栄閑院」

下記で「芝西久保巴町」のナンバーくん住所プレートを紹介したことがある。

citywalk2020.hatenablog.com



表札ではないが、「西久保巴町」の痕跡を発見したので、今回はそれを紹介することにしよう。

発見日  2023年12月25日

発見場所 東京都港区虎ノ門三丁目

①巴町45

店舗の中に置かれていた。

「西久保」が抜けているが、かつてここは「西久保巴町45番地」だったのだろう。

「西久保巴町」時代からあったのかわからないが、新しそうなので、違うかもしれない。

何か思い入れがあり、店舗オープンの時作ったのかもしれないと、想像してみる。

次はお寺の紹介。

何故?

それは、後程わかる。

栄閑院


寛永年間(1624年~1645年)、猿まわしの泥棒が当寺の住職によって改心し、猿を残して、諸国行脚の巡礼に旅立った。残された猿は、当寺の飼い猿としてかわいがられた逸話からきている。境内の猿の像はこの逸話を元に建てられたものである。

猿塚



猿の彫像

帰ってから調べたところ、あと4匹の猿がいるらしいのだが、訪問した時は気が付かなかった。

本堂の向拝で梁を支えているのが2匹と屋根の上に2匹。

撮ってくるという宿題ができてしまった。

都史跡 杉田玄白

所在 港区西久保巴町98 栄閑院内
指定 昭和41年(1966)3月17日

杉田玄白(1733~1817)は江戸中期の蘭方医蘭学の祖である。若狭小浜藩藩医杉田甫仙の子、名は翼、字は子鳳、号は鷧斎、九幸翁など。江戸に生まれ、西玄哲に外科、西幸作にオランダ外科を学んだ。前野良沢桂川甫周らとオランダ語解剖書を翻訳した『解体新書』は日本医学史上画期的な文献である。文化12年(1815)に脱稿した『蘭学事始』は『解体新書』翻訳の苦心談を回想した点で有名である。このほか「形影夜話」「野叟独話」などの著書がある。

昭和43年(1968)3月1日 建設  

東京都教育委員会

上の説明板の中の所在に「港区西久保巴町」と書かれていた。

②港区西久保巴町九八

1977(昭和52)年9月1日の住居表示の実施により、虎ノ門三丁目に編入となり消滅したので、この説明板が設置された昭和43年(1968)3月1日はまだ「西久保巴町」だった。

1921年(大正10年)の地図

西久保巴町児童遊園