事前調査で文化センター通りに東京市電氣局の境界石が4ヶ所に設置されているらしいことが分かっていた。
本題に入る前に東京市電氣局のことを説明しておかなければならない。
と言っても、人の受け売りだが・・・。
1911年(明治44年)8月1日 - 東京市(当時)が東京鉄道株式会社を買収。東京市電気局を創設し、路面電車(市電)事業と電気供給事業を開始。
文化センター通りを走っていたのは、1914年(大正3年)5月7日に専用軌道で開業した東京市電角筈(つのはず)線。
東大久保~角筈間で、途中に天神前、前田甫、新田裏、北裏通の電停が設けられていた。
1970年(昭和45年)3月に廃止されるまでの間には色々経緯があったようだ。
現在、専用軌道は、大久保車庫の跡地に建てられた「新宿文化センター」にちなんだ「文化センター通り」と呼ばれており、抜弁天方から坂を下りてくる一方通行のバス通りになっている。
※新宿区立新宿文化センターは特定天井等改修工事を実施するため、令和5年11月1日から令和7年9月30日(予定)まで長期休館中。
これから紹介する境界石は路面電車が通っていたことを示す痕跡なのだ。
発見日 2024年3月23日
発見場所 東京都新宿区新宿六丁目
ストリートビューでは確認できなかったので、現地に行って調査することにした。
この地図で言うと、左側(至 若松河田駅)方面から文化センター通りへ入った。
どこにあるのかわからないので、歩道の左側から探してみた。
①すぐに境界石を発見。
しかし、文字が刻まれていない。
これは違うようだ。
②その後すぐに、東京市電氣局と刻まれているものを発見。
目的のものはこれだ、そう、これこれ。
下の部分はどっしりしている。
もっと細長いものだと思っていた。元は下の部分は埋まっていたのだろう。
裏には境界石標と刻まれている。
バケツが邪魔なのよね~。
真上
矢印が刻まれていた。
③これも違う?
④
なぜか正面に境界石標と刻まれている。
裏面に東京市電氣局
⑤正面
裏面
この矢印は普通上についているものだと思うが、なぜか横に、そして下向きに付けられていた。
⑥コンクリートの中に埋もれていて、上に紋章だけしか見えないものもあった。
⑦これも違うかも。
⑧これは歩道の右側にあったもの
正面
裏面
真上
紋章あり。
この日の収穫は8本、大量だ。
その内、東京市電氣局の境界石が5本、他のは何の境界石か不明。
4本が正解なの?
素人判断なので、もしかしたら違うものが混じっているかもしれない。
この時は、これで満足していたので、再訪することは考えていなかった。
しかし、別日の探索でこの近くまで来ることになり、ついでに探索することになるのだが、新たなものを発見をするとはこの時は知る由はなかったのは言うまでもない。
それだけではない。
ここ以外にも東京市電氣局の境界石やマンホール蓋が存在しているかもしれないことを知ってしまった。
現存を確認しに行きたくなったのは言うまでもない。