歩・探・見・感

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ノスタルジック、レトロ、ディープそしてマイナーな世界へようこそ

2024年10月15日に発見した個人的所沢遺産

所沢市は何回も探索したことがあるが、まだ探索したことがない場所もあり、今回の探索でもいくつか収穫があった。

ひらがなの橋名「あ○○○し」?

読めない。

漢字名の橋名で読むことが出来た。

吾妻橋



これは劣化していて読めないパターン

細い橋だね。

「共開橋」という名称の橋だった。

明治33年に吾妻尋常小学校の校舎が現在の市立南陵中学校のところにできたとき、学校の南側を流れる柳瀬川に橋がなかったことから、村の人たちが共同して新しい橋を架けたとのこと。

これは何代目の橋なのだろう?

寿町公園にあった石標

町立実科高等までしか見えない

町立実科高等女学校跡地だった。

町立は所沢町立だよね。

碑だけで、説明板がない。

どんな学校なのか調べてみた。

まず、実科高等女学校(じっかこうとうじょがっこう)とは、
かつて日本で、家事や裁縫など実用的教科目(実科)を女子に教えていた中等教育機関(女学校)。高等女学校の一種として1910年(明治43年)に制度化され、太平洋戦争中の1943年(昭和18年)まで存在した学校のこと。

歴史

1916年(大正5年)
町立所沢実科高等女学校として開校。

入学資格は高等小学校を卒業した者で2年制で定員は100名。
校長は所沢尋常小学校長の丸山近美が兼任した。
※教育課程は週36時間のうち裁縫の時間が約6割

1938年(昭和13年)10月15日
埼玉県所沢実科高等女学校に改称。

1943年(昭和18年)4月1日
埼玉県所沢高等女学校に改称。

1948年(昭和23年)
学制改革により、埼玉県立所沢工業学校と埼玉県所沢高等女学校を統合し、所沢町立埼玉県所沢高等学校が開校。

1950年(昭和25年)
所沢町が市制施行に所沢市となり、所沢市立埼玉県所沢高等学校に改称。

1953年(昭和28年)
埼玉県に移管し、埼玉県立所沢高等学校に改称。

裏側

下が見えない。

所沢小学校の目の前の公園で、ちょうど下校中で、あまり目立つことはできず、年号は目で確認できなかったが、大正は五年、昭和は?。

阿弥陀堂石橋造立塔

柳瀬川に架かる吾妻橋を渡って探索しているときに見つけた。

釈迦三尊の種子
安永七年(1778)二月 
天下泰平国土安穏所 武州入間郡
久米郷中念仏供養

謎の石柱


文字は見当たらない。

多差路

考えてしまう標識だ。

盗犯防止重点地区

これは多分レアもの。

基本レアものしか紹介しないポリシーだが、自分だけレアものだと思っているだけかもしれない。

古そうなヤマザキデイリーストアの看板

元店舗脇の奥の方に眠っていた。

たぶん初見のもの。

犬が持っている看板の四角の中に文字を入れよ。

あっ、見えてるね。

ちかんに注意

下に書かれている吾妻町に反応する。

今回は以上。